2017年8月8日火曜日

長谷川龍生「理髪店にて」③

長谷川龍生の詩「理髪店にて」に出てくる「鳥海」=写真、wiki=は、高雄型と呼ばれる4隻の重巡洋艦の一つです。高雄型は、大日本帝国海軍が“最後の重巡洋艦”として計画建造されました。

巡洋艦というのは、「大和」に象徴されるような大型で鈍足の戦艦と、魚雷や砲撃など機動性に飛んだ駆逐艦の中間に位置する軍艦をいます。スピードでは戦艦に勝り、総合的な攻防力や耐波性では駆逐艦を凌駕するそうです。


巡洋艦はもともと、電波による通信がまだ発達していなかった時代に、情報を伝達したり、敵の在処を探ったりしたコルベット船やフリゲート船のような役割を担うものでした。

しかし水雷艇や駆逐艦が生まれてからは、それらより大型で遠洋航海能力が高く、艦砲を主装備している軍艦をさすようになりました。

巡洋艦のなかで大型のものを、重巡洋艦といいます。1930年のロンドン海軍軍縮条約では、砲口径6.1インチ(155ミリ)を超え、8インチ(203ミリ)以下の艦砲を搭載する1万トン以下の巡洋艦を指しています。

高雄型は、前身の妙高型を引き継ぐ重巡洋艦で、藤本喜久雄造船大臣が設計を担当しています。

本艦の主砲は「50口径3年式20センチ砲」と呼ばれているもので、砲口の初速は毎秒870メートル。110キログラムの砲弾を仰角45度で、29400キロまで到達させることができたといいます。

据えられた新型の砲塔は、最大仰角が70度に及び、対空砲弾用に専用の揚弾機を備えていました。

とはいえ、実際のところ、砲弾が重すぎて砲弾の射撃間隔が長くならざるを得ず、発射速度も遅くて、実践で十分威力を発揮できるものではなかったようです。

前のタイプである妙高型の「足柄」が1937年、英国王戴冠記念の観艦式のため欧州へ派遣されたとき、乗艦した英国の新聞記者は「私はきょう初めて軍艦というものを見た。いままで見てきたのは客船だった」と評しとか。

これくらい、当時の重巡洋艦は船内で暮らしの居住環境は劣悪だったのです。

高雄型は、悪評をかった狭い居住区域を広くするなど、乗組員のすみやすさに配慮されました。艦隊の指揮能力を高めるため、ブリッジの大型化するなどの改良も施されました。

龍生の詩に出てくる「鳥海」は、高雄型のなかでもとりわけ内装が豪華だったとも言われています。

「鳥海」をはじめ「高雄」「愛宕」「摩耶」の高雄型4隻は、1932(昭和7)年に就役。、1934年11月には、4隻で海軍第二艦隊第4戦隊を構成します。

それは、詩人がまだ、小学校へ入ったばかりのころでした。

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