2017年7月8日土曜日

日夏耿之介「夏落葉」「少人に予ふる歌」

きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   夏落葉

無辜と純鮮と
その水無月の日の後園を
白日(まひる)の鐘音(かね)いと疎慵(ものう)げに手まさぐり
日の光 行潦(にはたづみ)の面(おもて)に驕(おご)りて
かがやく 逞(たく)ましき 老はてたる
檞樹林(かいじゆりん)第一樹枝の若葉だち
しらじらと 燃えたちしとき
仄昏(ほのくら)き榛樾(しげみ)のほとりを 夙(と)く翔(かげ)り
はたと墜つる朱夏(なつ)更けし朽葉(くちば)ありけり
そのひびき 地を揺(ゆ)りし

   ◇

「無辜」(むこ)は罪のないこと。

「行潦(にはたづみ)」は、雨が降ったりして、地上にたまり流れる水。

「檞樹林」は、「檞」(かしわ)の林か。

「榛」は、はしばみ、雑木や草が群がり生えること、やぶ。

「樾」は、木陰の意だそうです。


   少人に予ふる歌

八月は野の白宵(ゆふべ)に心おごりたるに
都市(みやこ)よりの早乙女(さをとめ)だち
山ふもと 洋館は白き仔羊(こひつじ)のごとく
七つの若き瞳をまばたき初めてけり
その大いなる聖手(おんて)を延して 今や
神は海上遠く夕映(ゆうばえ)の黄金砂(きんさ)を鏤(ちりば)めたまひぬ
爾(きみ)が椿萱(かぞいろ)も 爾(きみ)がよく秘めたる妹好(ひと)も
胸疾(や)みたまふ女兄(あねぎみ)も 仇敵(きうてき)の一団も集ひしぞ

憖(ああ) まんまろき青(あを)大空のもと
しどけなき砂丘に攀(よぢのぼ)り
夏夕風(なつゆふかぜ)の赴くなべに
哀傷(かなしき)かぎりなき頌(うた)に生きよ しばしなりとも

   ◇

「椿萱」は、椿堂が父を、萱堂が母をたとえて、父母のことを指します。

「憖」は、ふつうは「なまじ」「なまじい」と読みます。中途半端であるさま、いいかげん、なまじっか。しなければよかったのに、という気持ちで用いられます。

「頌」は、「しょう」と読む場合、古くは、中国最古の詩集『詩経』で、全詩を六つのジャンル(六義)に分けたうちの一つで、宗廟の祭礼における舞楽の歌をいう。「ほめうた」を意味します。



特有の文体で、農事の神々、祖先、君王の盛徳などを形容し、賛美、頌揚、祈求するものでした。後に、対象が鬼神帝王から一般人や普通の事物へと拡大され、漢の揚雄の「趙充国頌」、晋の劉伶の「酒徳頌」、唐の韓愈の「子産が郷校を毀らざるの頌」などが作られました。

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