2017年7月27日木曜日

日夏耿之介「涙を喰ふ者」「火の寵人」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩を読みます。

   涙を喰ふ者

透明清純にして 味甘(あぢあひうま)く かつ にがし
白宵(ゆふべ)白宵にあまたの涙を喰(くら)はなむ
かつて数おほく薄明舞台をよろめき歩める者
いま明るき洋燈(らむぷ)とともに夜を奔らなむ
薄暮(くれがた)の草原(くさはら)に戯(たはむ)る処子らは
生命(いのち)とともにいそしみて
いそいそとその泪(なんだ)を捧ぐ也
捧げもの小胸(こむね)にみたば
愛は跣足して生活を踏みしだき
常春楽土きたるなるべし
頽唐を課税し 絶望を負債せしむる
淫蕩世界を泛み出でて
狂ひたまむるる
あまた そこらなる
あまたの涙(なんだ)を喰ふ者

   ◇

「処子」は、未婚の女性、おとめ、処女の意の他、処士すなわち民間にあって、仕官しない人を言うこともあります。

「跣足」は、はだし、すあし。

「頽唐」は、勢いが衰え、くずれ落ちること。健全な思想が衰え、不健全な傾向に進んでいくようすをいいます。

「淫蕩」のほうは、酒色にふけってだらしがないことです。


   火の寵人

惟(これ)を嗜む千万冠子蟲(かんしちゆう)を その嗟嘆(なげかひ)を
破灌子(はくわんし)等肥満(ふと)り弾力ある裸身(はだかみ)にして
牡豹(をへう)の如く白日の青床に横る時
肉障の各処より汗と発散する異風の香に咽ぶ
其柔く粘気ある真白き蹠(あなうら)に呂(べえぜ)せん歟
かの放肆なる笑ひを綴る
腓脛(こむらはぎ)の輝く感触に眩暈す
凡そ髪毛の洒落(しやらく)なる刺衝心理の落付たる享感を喜(この)む
あらゆる内気なる皮膚の羞める恍惚の繊美に傾倒す
此等感覚性蠱惑(こわく)の法悦よ
更に更にこれらなに者よりも
希くば 神よ 神よ
崇(けだか)く健康にして叡智夥しき妙人の
艶ある雙頬(さうけふ)の通路を下る白光真珠の一群を搾取せしめよ
涙(なんだ)の中心にて感ずるは悉皆(しつかい)世界の好色横断面也
そのいとをかしき重積なり
宝石鉱の燦爛(さんらん)ある至高情緒の心ゆく顫音也
六月月夜(げつや)の燐光ある耽楽(たんらく)の抽象的内在美也
想像(おもふ)は
白く冷き星涙に濡れそぼてる丹朱花の生香ある花弁に呂する。
健かなる紅顔子の黒瞳(こくとう)より
自然(おのづから)に奔(ほとばし)り出る白熱の水液也
視よ 覩よ
かかる玉瑶大地に落ち散り
力あれど青さめし炎(ほむら)と火(も)え昌(さか)るを
今全世界を死力にて我心臓を重圧すと夢見たり
然れども常にかかる涙(なんだ)の酵出する火によりて
酷愛せらるるを喜ぶもの我也
火よ! 火よ!

   ◇

この詩には「ひと日日光の熱を楽しむ老いさらばひたる檞樹の下にて歌へる歌」との前書きがあります。

「寵人」は、ちょうにん、または、ちょうじんと読み、愛している人のことです。

「冠子」は、鶏のとさかの意味とか。

「肉障」は、唐の楊国忠が多くの美女を周囲に並べて、寒さ防ぎの屏風がわりにした故事のこと。肉屏風、肉陣。

「悉皆」は、ふつうは、残らず、すっかり、全部の意で用いられます。

「紅顔」は、年若い男の血色がよくて皮膚につやがある顔の意ですが、古くは美しい婦人の容貌にも用いたそうです。

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