2017年7月12日水曜日

日夏耿之介「崖上沙門」「無言礼拝」

 きょうも『転身の頌』から二つ詩です。

   崖上沙門

衣赤き沙門は稚く ただひとり
瞑目(めとぢ)て崖上(がいじやう)に彳(たたず)めり矣
断層面に八月の日光(ひ)は驕り
夏空(そら)は懈怠(けたい)を孕み 汗ばみたり
閑古鳥は風防林に蘭秋(あき)を呼び
青春の蜥蜴(とかげ)らは
緋に燃えたる花崗巌(くわかうがん)の傷趾(きずあと)に
緑色の飾紐(りぼん)を結べり
かかるとき
南風は大盗(たいたう)のごとく闖入しきて
さてかろく咳(しはぶき)して 出で去りぬ
草原(くさはら)は枯草熱に疼(いた)みて 屡(しばしば)傷痛の銀波をあげ
山脈は肩そびやかし
おもむろに延び 欠呿(あくび)す
沙門は瞑目(めとぢ)たり 永劫に

   ◇

「沙門」は、サンスクリット語の音写で、「つとめる人」の意味があります。ゴータマ・ブッダとほぼ同時代に出現したインドの新たな思想家たち、あるいは、出家して修行を実践する人たちを指します。

「懈怠」(けだい)は、仏教用語では、仏道修行に励まないこと、怠りなまけること。六大煩悩の一つあるいは二十随煩悩の一つとして数えられています。

「閑古鳥」は、カッコウ=写真、wiki。鳴き声が物悲しいので、寂れていること、寂れた店を閑古鳥が鳴いていると表現されます。

「蘭秋」は、ふつうに読めば「らんしゅう」、秋のはじめのことです。


   無言礼拝

竝樹街(なみきがい)に鉄軌(てつき)あり
長剣のごとくひかり 延び延びと
地平の焦点さして夙(と)く走れり
夜 月光ここもとに泊(は)てて
蒼白(あをじろ)きアンダンティノを綴る
沈黙は僭主(せんしゆ)のさまに世界(よ)を領(しろ)し
「時」は光の縷(いとすじ)を綱渡り
永劫さして忙げるなり
珍事(こと)ぞおこれる
万有(もの)の響 音 擾(さや)ぎわたりて地軸を揺蕩(ゆすぶ)り
災殃(まがつび)のごとく奇襲しきたりしかば
夜の花 不慮に眼ざめ
深林(もり)の若葉等は相抱擁(あひいだき)て吐息つき 慴伏(せふふく)す也
しばしの後 何者かの悲鳴は
擾乱の昏迷に口火点(つ)け
怕るべき叫喚世界(よ)を聾(し)ひむとす

されど視よ一分時(いつぷんじ)の後
何事かありたる

万物折目正しく静坐し
忍者(しのびのもの)の若(ごと)くにその声を呑み
樹(こ)の間ふかく
沈黙と黯黒(あんこく)とは密通のくちつけに心狂へる

無言礼拝(むごんらいはい)のとき いまぞ わが子らよ
わが子らよ

   ◇

「アンダンティノ」は音楽の速度標語で、アンダンテ(歩くような速さで)よりやや速めに、の意。「怕(おそ)る」は、気遣い不安がる、危ぶみ心配すること。

「僭主」は、前7世紀の後半から前5世紀の前半にかけて、ギリシアの多くのポリスに現れた独裁的な支配者の総称です。英語のタイラント(tyrant)はこれに由来します。彼らはほとんどが貴族の家柄でしたが、貴族政の乱れに乗じてこれを倒し、非合法な独裁政を打ちたてました。

「慴伏」は、ふつう「しょうふく」と読んで、おそれひれ伏すこと、勢力におそれて屈服する意があります。

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