2017年6月10日土曜日

吉野弘「I was born」⑬

「I was born」について八木忠栄は「吉野弘の詩の最高傑作としてよく知られている作品だが、さらに言えば、現代詩が生んだ最高傑作の一つと言っていい」と高く評価しています。

これまでも見てきたように「I was born」は、1952(昭和27)年、吉野弘が詩作をはじめた26歳のときに作った投稿第2作目です。

その出発点で、完成された最高傑作をもつということは、その芸術家の人生にとってどういう意味をなすのでしょう。若くしてオリンピックの金メダリストになるようなものなのでしょうか。

もちろん「I was born」で注目を集め、高い評価を受けたことが、その後の吉野の創作への意欲をかき立て、詩人としての地位を確固たるものにしていったのでしょう。

と同時に、それ以上の作品を書かなければ、というプレッシャーのようなものも、生涯どこかにつきまとっていたのかもしれません。

ともかく、この「最高傑作」が吉野の文筆家活動の出発点となりました。そして、アルチュール・ランボーのように若くして筆を折ることも、小説家や評論家に転身することもなく吉野は2014年1月15日に87歳で亡くなるまで60年以上にわたって、詩を書き続けました。

「僕は詩は認識だと思うんだ。詩に限らず、芸術は、事物を人間の意識の中にもたらすための一種の言語だと思うわけだ。感動というのは、謂わばそれの端緒だ。感動の未発達の曇った状態から確実と明晰との段階に高めるための作業が即ち認識だ」(「詩とプロパガンダ」)。

けばけばしい過度な表現を厭い、温かい眼差しと分かりやすい言葉で「生」をさぐり、人間の営みを淡々と描きだす「認識」の詩。吉野の詩をすべて読んだわけではありませんが、そうした詩への姿勢には、生涯、一貫したものがあったように思えます。

     I was born

 確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
――やっぱり I was born なんだね――
父は怪訝(けげん)そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――
 僕は父を見た。父は続けた。
――友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。


「I was born」について、清岡卓行は次のように評しています。

〈生まれることが受身であるだけではないこと、いやむしろ能動であることを示す《卵》のイメージの感動は、十分に伝わるだろう。

そして、主人公の中学生の内部に可能性として感じられる、生まれないことの幸福を思う死への傾斜が、原理的には《卵》に象徴される盲目的な生の欲望と合致することが、今さらのように新鮮に気づかれるだろう。

内部矛盾の瞬間的な解消。ぼくは、この散文詩を読んだときの感動を今も忘れないが、それは、詩における生へのリズムと死へのリズムの根源的な照応にかんするぼくなりの思考に、強力な一つの支柱をあたえてくれるものであった。

このような意味において感謝する他人の詩作品は、ぼくにとって「I was born」のほかにはない。〉

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