2017年6月30日金曜日

日夏耿之介「愛は照る日のごとし」「怕しき夜の電光体」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ。

   愛は照る日のごとし

神の聖座に熟睡(うまい)するは偏寵(へんちよう)の児(うなゐ) われ也
人畜(もの)ありて許多(ここだく)に寒夜(かんや)を叫ぶ
まことその叫喚(さけび)を聴くは我が身のみ
心かなしく枯坐(こざ)しつれば
狂譟(をめき)は しばし金色の愛なりけるを
あはれ 万有(すべてのもの)の稟性に光(みひかり)あれ

野(や)に躡詰小止(ふみたけびをや)みなけれど
雄叫(をたけ)ぶは夫(か)の力なき山野の人畜(にんちく)のむれにのみ歟(か)
その吠嘷(さけび) かならず惨(いた)ましき哉

わが愛は照る日のごとし
夜は きはみなく寒く
暗黮(やみ)にして人畜恒に哀嗷(かなしびな)けども
ただ道(い)はむのみ
その惕号昧爽(おらびよあけ)とともに消え逝くべしと

   ◇

「偏寵」は、特別にかわいがること、非常に気に入られること。

「許多」はふつうは、「女御・更衣あまたさぶらひけるなかに(源氏 ・桐壺)」のように「あまた」と呼んで、たくさん、多数、非常に、といった意です。

「躡」には、足音を忍ばせる、追跡する、尾行する、「惕」には、危険や誤ったことに対して心理的に警戒する、用心するといった意味があるようです。

「惕号昧爽」はよくわかりませんが、「惕」はつつしむ、「号」は叫ぶ、「昧爽」は、明け方のほの暗いときの意味があります。


   怕しき夜の電光体

電光 宵夜(よる)を光れりけり
色碧(あを)くいと凄惨(すさま)じきその放射熱哉
電光を凝視(みつ)めなば
生命(いのち)は石灰石のやうに凝固しなむ
傷哀の涙多(なんだ)く昊天(そら)に盈(み)ち満ちわたり
愛は燃え下りて白蠟(びやくらふ)のごとく溶解失(とけう)せなむ

光より放れしたまへ 否 否
光たらしめたまへ わが神よ

   ◇

「怕」の音読みは、ハ、ハク、訓読みは、おそ(れる)。おそれる、心配する、の意味があります。

「盈」には、満ちるという意のほか、だぶつく、余る、余分といった意味合いもあります。

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