2017年6月28日水曜日

日夏耿之介「吐息せよ」「ある宵の祈願の一齣」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ読みます。

   吐息せよ

吐息(といき)せよ
巨いなる靭(つよ)き怡悦(よろこび)にて
幺(ちひ)さき悲哀(かなしび)の坩堝(るつぼ)のなかふかく
おんみの身(かたち)しつらへ
祭壇のもと 跪坐礼拝(きざらいはい)して
あらゆる爾(おんみ)とともどもに吐息せよ

   ◇

「吐息」は、ふつう、落胆したり緊張がゆるんだりしたときに思わず出る息のことをいいます。長め、深めの溜め息に対し、僅かで浅めの印象を受けます。古代ギリシャで「息」は「プシュケー」と言いましたが、この語はやがて命、魂、心まで指すようになりました。日本語でも「息」から「いきる(生きる)」という表現が生まれたようです。

「跪坐礼拝」は、神仏を敬って、ひざまずいてすわり拝むことです。


   ある宵の祈願の一齣

一人(にん)をして生存(いき)しめよ
千人みな死しはてんも
万象ことごとく蠢動(うご)かざらんも あはれ
あはれ かの高山(たかやま)に登攀(よぢのぼ)り
沈みゆく落日の悲壮に心かなしみつつも
内なる神の稜威(みいづ)を頌へむかな
一人をして生存しめよ

   ◇

「齣」(こま)は、切れ目の意。写真や映画で、フィルム上に記録されている枠取られた一画面、小説、戯曲などの一場面のことです。

「稜威」は、「りょうい」または「みいつ」と読んで、天子、天皇の威光の意。また「いつ (厳、稜威)」として、神聖である、斎み清められていること、勢いの激しいことなどを表します。『古事記』に 「稜威の男建(おたけび)踏み建(たけ)びて」とあります。

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