2017年6月27日火曜日

日夏耿之介「心を析け渙らすなかれ 」「黙禱」

 きょうも『転身の頌』から、詩を二つ。

   心を析け渙らすなかれ

心を析(わ)け渙(ち)らすなかれ
秋の日の林間に滴(したたり)落(おつ)る小泉の水沫(みなわ)を矚(なが)めよ
細微(すくな)い水量(みづかさ)は恒に神の黒瞳(ひとみ)のやうに澄み勝(まさ)る
きみが持てる古瓶(こべい)に注心(こころし)て夙(はや)く載(み)たせよ
脣(くち)うるほひ その心性浄化(こころきよま)りしか
まなこを矯(あ)げよ
海に消えゆく白帆(しろきほ)の行衛について知るか
瑠璃色の半霄(なかぞら)に 心三日月のやうに航しゆけど

   ◇

「析」にはこまかく分かつ、こみ入ったものを解きほぐす意、「渙」には水が広がり流れる、氷が溶けて水が広がるさまといた意味があります。

「半霄」は、「はんしょう」とも読み、中天、中空、半空、空の中ほどのことです。


   黙禱

黄色き地平のかなた――世界の隣室より
異相の幽人(ひと)窺へる
人人 俯伏せよ
ことごとく擲(なげう)て 悉皆(すべ)てみな拒け斥(き)れ
草木(さうもく)のひと葉ひと葉の真実(まこと)の道(ことのは)を彳み聴け
威(ちから)ある真実の道(ことば)は命運の将来せる二の世界か
爾(おんみ)はその不可思議なる霊(たましひ)の所在につき困(くるし)むならむ
およそ人間生の彼方につき臆(おも)ひ兜(まど)ふならむ
威ある道(ことば)の中有(そら)のかなたより生れいでて
われらに示唆(さと)すは二の世界也
神のみ姿 所現(あらは)れかつ沈潜(しづみ)ゆくとき
人間(われら)のあまた 枯れかつ萌え出(いづ)る也
神よ 爾の威(ちから)ある道(ことば)を我(ひと)に永劫ならしめたまへかし
稚淳(ちじゆん)なる草木の葉は 嵐を謙抑俯伏(けんよくふふく)しけり
我(ひと)かぎりなく駛(ゆ)きまどへるか
夙(と)く驕れる知見の触覚を亡(なみ)したまへかし
烏乎(ああ) 神よ われら久しくその道(ことば)を聆(き)く
われら頑迷(かたくな)の存在(ひとみな)をして
艸や木の一葉(ひとは)一葩(ひとひら)のごとく在らしめたまへかし

   ◇

「黙禱」は、古くは中国・唐の韓愈の詩にみられる言葉。国内で黙祷が浸透するようになったのは、1923(大正12)年9月1日に起こった関東大震災の1年後の慰霊祭で、地震発生時刻の午前11時58分にあわせて1分間の黙祷をする催しが行われてからのようです。

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