2017年6月18日日曜日

日夏耿之介『転身の頌』から「宗教」

これから信州・飯田出身の詩人、日夏耿之介(1890-1971)の『転身の頌』の詩作品を読んでいきます。ですが、これまで読んだ「序」でもわかるように、耿之介の作品は、ざっと読むというだけでも一筋縄には行きません。

それは、私の教養が乏しいから、というだけでもなさそうです。耿之介を非常に高く評価してした清岡卓行ですら、『転身の頌』と同じ年に出版された萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』に「溺れているような状態であった」とき目にした『転身の頌』の詩について、次のように記しています。

「日夏耿之介の詩における、むずかしい漢字の使用、漢字の音訓がときどき特異であること、あるいは、文語で書かれているにしろ、文語的な口語で書かれているにしろ、言葉のリズムが多くの場合、最初の接触においては流麗ではないと感じられること、こうしたことなどにいくらか辟易したのであった」

それどころか私などには、耿之介の詩をワープロで打つというだけでも「辟易」させられるときがあります。ですが、苦労して漢字変換をしてみると、そこに言葉というものの幅広さ、奥深さが垣間見られたような、思わぬ発見にワクワク感を覚えることも少なくありません。

というわけで、いまの私に耿之介の詩をきちんと読み解く能力は、とてもありませんが、それを書き写して眺めてみるだけでも十分に楽しめる気がしています。

詳しい読みは別の機会にゆずり、これからしばらくの間、朔太郎の『月に吠える』と同じ年に出た、こちらもまた日本近代詩にとっての記念碑的な詩集『転身の頌』の全詩をざっと眺めてみることにします。きょうは、その冒頭の「宗教」です。


   宗教

孟春(はる) 朝(あさ)まだき
雨後(うご)のあした
ーー善良の「人の子」ら咸(みな)睡るーー
雑木林(ざふぼくりん)に擾(ささ)げる胸赤きROBINを矚(み)しか
心かなしみかぎりなく
大地に耳(みみ)ふせ
忌忌(ゆゆ)しき泪(なみだ)の脈拍(みゃくはく)を心に聴きて
泉のごとくに笑へる也
心ーーなんの歓喜(くわんき)ぞーー純白不二(じゅんぱくふじ)にして
杳かなる神に呼吸(いき)すれば
地は息忙(いきせは)しくわが瓦斯体を吸収(きふしふ)せむとす
かかるとき
水枝(みづえ)に来啼く野の禽(とり)のさけびを聴け
翼(つばさ)あるものは 歌(うた)うたへる也

心さびし
乱声(らんざう)の悲しき禽(とり)よ
おんみら亦ともに呼吸(いき)するや
烏乎(ああ) 地は萌えいづるもろもろの陰影(かげ)を察よ
春天(はる)は大地(たいち)とともに溶解(とけ)さりぬ

この呼吸を悟(し)る耶(か)

   ◇

詩の中の「ROBIN」は「Robin redbreast」の略で、胸の毛がだいだい色をしているコマドリ=写真、wiki=のことです。

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