2017年6月15日木曜日

日夏耿之介『転身の頌』序⑤

きょうは『転身の頌』序の「六」と「七」です。



かかる傾向は、天才をも且つ賤民の酒料のために不当の労役に服させ、彼岸の友をも覗ふ火器をも負はしめる。

謬り進められた文化、不消化の教養、悪の一旦の勝利は世界戦争の第一の口火を点じた。此の戦役は悪疾の年重つた末に迸り出た膿血である。

若しかかる戦ひが、ある善良な結果を導くとしたら、それは少くとも前世紀から今代に及ぶ文化の根本精神の触手が恒に不断に悪傾向に向つてのみ増進させられて来たと云ふ恐ろしい事実の自覚を強ひる迄にある。

近代民主々義の実生活上の理想は、正しい民、謙虚ある民、神を跪拝することを知る民による民主ではない。

既に、覚醒は彼らの大脳を刺衝して居る。彼等は根底より改更しなければならぬ。

正しき文化の様式は、まことの人間の生活型式は、何時の時代にも恒に天才の脳裡にのみあつて覚認(リヤラヰズ)される。

民人は天才の前に昔の神に対するのと等しき謙仰にて礼拝しなければならぬ。

そして天才の幻覚の裡から万能の審士の正しき箛を吹奏させなければならぬ。かく励むは民人の与へられたる責務である故に。



霊感の神馬(ペガサス)に鞭打つて天界に徜徉する詩家と、思念の綱を手繰つて実在の聖体盒に参ずる哲人と(優れた宗門の偉材は、両個を兼ねたるもあれば、其の一により法悦の秘観に入るもある)は、偏寵の神子である故に、神の意志による人間霊性の最大級の奔躍が彼らによつて試される。

この使命は自然の自発的意欲である。この出産は混沌に於ける炎の出現である。かれらの足跡は一一に神の業績である。

経験の種々相と眼前に展開された現象界の華麗に眩惑されて、人間は神の物の中心の心根を読む術を識らぬ。

各時代於て凡そ衆愚は霊性頽廃の断崖に彳み、思慮するところなく神の御国のための正義に罵詈の癡言を吐く真理の仇敵である。

天才を神の御国に働かしめるのは神の意志である。天才を人界で働かしめるのは民人の責務である。

天才は神と人との溝渠に横たはる桟橋である。今代民主々義の理想は、この桟橋に向つて火を放たむとする。

黒金の如く堅固に孔雀の如く壮麗な真理は恒に孤寂と崇貴との間にのみ産れる。


この詩集は、人類史上最初の「世界戦争」である第1次世界大戦(1914-1918)の最中に出版されました。第2次世界大戦が勃発する以前はまさに「World War」と呼ばれていました。

後に「大正デモクラシイ詩壇」からの批判にさらされる天才主義的、高踏派的な考え方が端的に述べられています。

「神馬(ペガサス)」=写真、wiki=は、ギリシア神話に登場する伝説の生物で、鳥の翼を持ち、空を飛ぶことができる馬。「霊感」の象徴とも、されています。

「盒」(ごう)は、飯盒などとして使われますが、中国語では小箱、ケースといった意味があるようです。上田敏の「海潮音」に「日や落入りて溺るゝは、凝るゆふべの血潮雲、 君が名残のたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒」などとあります。

「罵詈」(ばり)は、罵詈雑言といわれるように、口汚くののしること。「癡言」(ちげん)は、いいかげんな言葉、たわごと。

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