2017年6月13日火曜日

日夏耿之介『転身の頌』序③

 きょうは、『転身の頌』序の「三」です。



美の狂歓に倚るジヨン・キイツの離脱は、純主観の古希臘主義を圧縮して
「美は真なれ 真こそ美なれ」
の高き道を踏んだとき、オリュムポスの山上に幻感した異教諸神の巨手によつて緑明の中空に描き出された物心一如のCockaigneである。

ロゼッティが詩集『性命の家』に於ける麗人の美貌に力服されるのは、かの覚認せられた肉塊の秘奥に安坐する神意の不可思議性を織巧に感悟し得たからである。

これら陶酔者の三昧境は、リュカデイヤ巌頭の古代女詩人が、『うるはしきヘラスの全図よりも、少人よ、おん身を』と叫んだ至情、ウーマル・カイヨムの悲劇、サーディの想念とともに悉くわれらの心浄く磨き出され欣求の力強い修道の果として高きより恵まれたる地上楽園だからである。

繊く青白い病詩人の生命の小函にも、信と愛と望とにかがやいた天人の黒瞳は宿る。かかるとき、身肉は征服せられ、裸身にして清き心意は霊内融会の一視点に凝縮せられる。

又、かかる場合と反して、エミリ・ブロンテが女性らしき、青く澄み切つた晩祈に倚る忘我や、ジェエフリーズ、ウヮズウォース達が、自然界の核心深く食ひ込む凝視の黒く冴えわたつた心眼にも、同じく、物の象を掴むで、象の奥に眼をひたと瞑ぢて横臥する心の完き生命を掘り出す性命力が確存し、美に倚る解説者が美を愕くべき透視力で眺めて美の奥の力に想到する様に、彼等は物象を祈念の涙で力服して、霧霽れて緑の山々が姿を現ずるやうに、物の象は淡雪のごとくに溶けさり、すべて万有の精神は悠久の力を帯び神霊となつて顕現する。

かくどのやうに違つた様式による芸術も、変つた流派も、表現人の性命自らが偉大なれば偉大であるだけ深刻に精緻に瞭確に宇宙実在の基本精神を発見し、新しき創造の歓喜を一身に浴びて神人合致の福祉に参しうる。


「ジヨン・キイツ(John Keats、1795-1821)は「ギリシャの古壺のオード」(Ode on a Grecian Urn)、「秋に寄せて」(To Autumn)などで知られる英国ロマン主義の詩人。結核を患い25歳の若さで亡くなっています。ローマの新教徒墓地に葬られ、墓石には「その名を水に書かれし者ここに眠る("Here lies one whose name was writ in water")」と彫られているそうです。

「ロゼッティ」は、19世紀英国の画家・詩人ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ Dante Gabriel Rossetti(1828-1882)=写真、wiki=のことでしょう。詩集『生命の家』(“The House of Life”1871)は、彼が手がけていたステンドグラス製作の共同制作者ウィリアム・モリスの妻ジェーンとの愛を綴った101篇のソネットからなり、ペトラルカンソネットと呼ばれるイタリアの古典詩の様式を模し、abba+acca+dde+ffeという脚韻を踏んでいます。

「Cockaigne」は、コケーニュ。贅沢と怠惰の想像上の土地、逸楽の国。中世ヨーロッパのユートピアの一つ、とされました。

「霊肉融会」は、とけて一つに集まること。 子規の「獺祭書屋俳話」に「神理天工、一心一手の間に融会して」



『嵐が丘』の「エミリ・ブロンテ」(Emily Jane Brontë、1818-1848)は、「No Coward Soul is Mine(私の魂は怯懦ではない)」など抒情詩人としても知られています。

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