2017年5月5日金曜日

中原中也「早春散歩」⑮

1937(昭和12)年9月下旬、中也は第2詩集『在りし日の歌』の原稿を清書し、小林秀雄に託します。そして10月初め、結核性髄膜炎を発病し、同月6日、鎌倉養生院に入院。半月後の22日に永眠しました。死後、小林秀雄は次のように記しています。

「先日、中原中也が死んだ。夭折したが彼は一流の抒情詩人であつた。字引き片手に横文字詩集の影響なぞ受けて、詩人面をした馬鹿野郎どもからいろいろな事を言はれ乍ら、日本人らしい立派な詩を沢山書いた。事変の騒ぎの中で、世間からも文壇からも顧みられず、何処かで鼠でも死ぬ様に死んだ」(『手帖』昭和12年12月)。


ちょうど中原が逝ったころ出た『文学界』10月号に、私の好きな春の詩が載っています。

     正午
              丸ビル風景

  あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
  ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
  月給取の午休〈ひるやす〉み、ぷらりぷらりと手を振つて
  あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
  大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
  空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
  ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
  なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
  あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
  ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
  大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
  空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

東京のど真ん中。昼休みのサイレンとともに、大きなビルからぞろぞろ蟻のようにわき出してくるサラリーマンたちの群れを中也らしいリズムで描き出しています。

8行目の「なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな」は、近世の滑稽本などにみられることわざ「酒なくて何のおのれが桜かな」からきています。

ノイローゼで入院した後、鎌倉に移り住んだ中也は、東京へ出ようとはしませんでした。昭和12年6月9日付の阿部六郎への手紙には「東京駅の雑踏は、思ひみるだにムツとします」と書いています。さらに、次にあげる7月7日の阿部あての手紙からは、中也が当時、郷里へ引きあげる予定でいたことがうかがえます。

〈小生事秋になつたら郷里に引き上げようと思ひます。なんだか郷里住みといふことになつてゴローンと寝ころんでみたいのです。もうくにを出てから十五年ですからね。ほとほともう肉感に乏しい関東の空の下にはくたびれました。それに去年子供に死なれてからといふものは、もうどんな詩情も湧きません。瀬戸内海の空の下にでもゐたならば、また息を吹返すかも知れないと思ひます。〔中略〕

僕としてはもうすぐにも帰りたいのですが、子供を連れて夏の汽車は大変だといふので、やつぱりどうしてもお彼岸過ぎにしなければならないのです。何しろ学生ならば「ながァい夏のお休み」を、退屈しながら鎌倉みたいなところ(鉋屑みたいなところ)に暮らすのかと思ふと、いやになッちやふ。――此の春以来可なり読書しました。此の十日くらゐ何にも読みません。読まないでゐると幾分旅情を感じたりします。郷里に帰つてもフランス語以外は当分何もしないつもりです。〉

さらば、東京。そんな気持ちを込めて、中也は「正午」を作ったのかもしれません。中也はついに生涯、定職につくことはありませんでした。それだけに、大都会のサラリーマンの哀れさのようなものを客観視できたのでしょう。それにしても、詩人はどこから昼休みのサラリーマンたちを眺めているのでしょうか。

中村稔は「ビル全体を眺望できるような遠くで、しかもサラリーマンの手を振り眼をあげ眼をおこす動作もよく見える、そんな場所のようです。そういう視点の不確かさが、この詩に何か不安定な感じを与えています。同時に、やはり彼岸から現世をふりかえるような、人生への懐かしさが滑稽な感じの中にひそんでいます」(『名詩鑑賞 中原中也』)と記しています。

さて、中也の春の詩を読んでいる間にいつのまにか、うららかな春も夏へと移り変わる時節へと移ってきました。最後にもういちど、「早春散歩」に目を通して、本題である賢治の作品へ戻ることにしましょう。

     早春散歩

  空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
  春、早春は心なびかせ、
  それがまるで薄絹ででもあるやうに
  ハンケチででもあるように
  我等の心を引千切〈ひきちぎ〉り
  きれぎれにして風に散らせる

  私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに
  少くとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如くに感じ、
  風の中を吹き過ぎる
  異国人のやうな眼眸〈まなざし〉をして、
  確固たるものの如く、
  また隙間風にも消え去るものの如く

  さうしてこの淋しい心を抱いて、
  今年もまた春を迎へるものであることを
  ゆるやかにも、茲〈ここ〉に春は立返つたのであることを
  土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
  土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
  僕は思ふ、思ふことにも慣れきつて僕は思ふ……

*写真は、中原中也記念館になっている山口市湯田温泉の中也生誕の地(ウィキペディアから)

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