2017年5月4日木曜日

中原中也「早春散歩」⑭

愛する息子、文也を失った中也は、遺体を抱いてなかなか棺に入れさせませんでした。四十九日の間、僧侶を毎日呼んで読経してもらったといいます。

そして、葬式についての近隣の悪口や巡査の足音などが、幻聴として聞こえるようになります。ラジオに向かってお辞儀をすることもあったそうです。

中也の精神は破綻しかかっていました。母フクのはからいで、1937(昭和12)年の1月上旬、千葉市にある神経科の病院、中村古峡療養所に入院します。入院中に書かれた「二月一日(月曜)曇」の日記には、次のような記述があります。

〈六時起床。廊下を拭く。野外作業は最初先ず松葉掻きを始めたが、風ひどく集めた松葉がはじめから吹き散るので、貝殻を砕く。注射の後、少しく寒気。白隠和尚座禅和讃を読み、間もなくして再び貝殻砕きを始めたが、猶寒気。

暫くつゞけてみたが寒気やまず。頓服を貰はうかと思つたが、なんだか薬に依頼心を起しては駄目といふ気持が起つたからそのまゝ自室に入り、「どうすれば全治するか」を少し読む。

自分の部屋が可愛くてなりませぬ。これが当分自分の居所だと思ふと、可愛くて可愛くてなりませぬ。差当り不足の品二三、早く求めたくてなりませぬ。〉

2月中旬に退院すると、小林秀雄や大岡昇平が住む鎌倉への転居を思い立ち、扇ケ谷の寿福寺裏の家に落ち着きます。ここが、転々と居を変え続けた中也の最後の住みかとなりました。

この年の3月23日の日記に、「文学界に詩稿発送。」とあります。送った「詩稿」というのは、2行1連を基調とした29連の長い春の詩です。「春日狂想」という題が示しているように、当時の詩人の不安定な心境をうかがわせるとともに、「遺言」のようにも思われてきます。


     春日狂想

      1

  愛するものが死んだ時には、
  自殺しなけあなりません。

  愛するものが死んだ時には、
  それより他に、方法がない。

  けれどもそれでも、業〈ごふ〉(?)が深くて、
  なほもながらふことともなつたら、

  奉仕の気持に、なることなんです。
  奉仕の気持に、なることなんです。

  愛するものは、死んだのですから、
  たしかにそれは、死んだのですから、

  もはやどうにも、ならぬのですから、
  そのもののために、そのもののために、

  奉仕の気持に、ならなけあならない。
  奉仕の気持に、ならなけあならない。

      2

  奉仕の気持になりはなつたが、
  さて格別の、ことも出来ない。

  そこで以前〈せん〉より、本なら熟読。
  そこで以前〈せん〉より、人には丁寧。

  テムポ正しき散歩をなして
  麦稈真田〈ばくかんさなだ〉を敬虔〈けいけん〉に編み――

  まるでこれでは、玩具〈おもちや〉の兵隊、
  まるでこれでは、毎日、日曜。

  神社の日向を、ゆるゆる歩み、
  知人に遇〈あ〉へば、につこり致し、

  飴売爺々〈あめうりぢぢい〉と、仲よしになり、
  鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

  まぶしくなつたら、日蔭に這入〈はい〉り、
  そこで地面や草木を見直す。

  苔はまことに、ひんやりいたし、
  いはうやうなき、今日の麗日。

  参詣人等もぞろぞろ歩き、
  わたしは、なんにも腹が立たない。

      《まことに人生、一瞬の夢、
      ゴム風船の、美しさかな。》

  空に昇つて、光つて、消えて――
  やあ、今日は、御機嫌いかが。

  久しぶりだね、その後どうです。
  そこらの何処〈どこ〉かで、お茶でも飲みましよ。

  勇んで茶店に這入りはすれど、
  ところで話は、とかくないもの。

  煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
  名状しがたい覚悟をなして、――

  戸外〈そと〉はまことに賑やかなこと!
  ――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

  外国〈あつち〉に行つたら、たよりを下さい。
  あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

  馬車も通れば、電車も通る。
  まことに人生、花嫁御寮。

  まぶしく、美〈は〉しく、はた俯〈うつむ〉いて、
  話をさせたら、でもうんざりか?

  それでも心をポーツとさせる、
  まことに、人生、花嫁御寮。

      3

  ではみなさん、
  喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
  テムポ正しく、握手をしませう。

  つまり、我等に欠けてるものは、
  実直なんぞと、心得まして。

  ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
  テムポ正しく、握手をしませう。

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