2017年5月18日木曜日

北村太郎「五月の朝」⑬

〈本来は怠け者で、第一詩集でろくな詩の数もなくて苦労したのに、省みれば、昭和五十三年以降は書いたという気がするんです。

けれどもそれは量の問題であって、質の点ではいろいろ問題もあるかもしれませんが。

とにかくたとえば田村とか鮎川と比べると、ぼくはやはり正当な詩人ではないような気がします。

中桐にしても全詩集を読み返してみるとすごい詩人だと思うし、彼はぼくにとって詩の先生という気がします。

もともとぼくは「センチメンタル・ジャーニー」と題につけるくらいだから、そのようなタイプの詩を書いているけれども、感情的と感傷的とでは日本語としてずいぶん違うと思うんです。センチメンタリストというのは感覚的な人間であるということです。

それでいえば、老年の入り口に入って、感覚なんてものが新鮮になりようもないのだけれども、自分としては若い人とつきあってもおもしろいし、街を歩いていても我ながらおもしろい感覚で街を見ているなという気もしたんです。

昔のモダニストの痕跡も残っているでしょう。どうにも感覚的な詩が多いんです。ただ感覚に溺れると、自己陶酔になり、他人が読めば必然的におしつけがましいということになる。

そういう自覚があったから抑えたつもりだけれども、たとえば詩集『犬の時代』(一九八三年)などを読むと、抑えがまだ緩いんじゃないかという気がするんです。

また、その前に出した詩集『悪の華』(一九八一年)については、たまたま三角関係でゴタゴタしていたときの揺れ動く気持ちがわりとよく書けていると自分では思っているんです。けれども、やはりセンチメンタルすぎるところがある。

それで一番最近の詩については、ひと言でいえばもっと軽く書いてもいい、俗語的なスタイルで書いてもおもしろいんじゃないかと考えているんです。それは求めて得られるものではないわけですが、北村のような厭世的な詩を書いていたやつにしては白けた詩を書いているといわれるのも悪くない。

年をとって病気になったこともあって、どうしても“デス”の死のほうが気になる。ですから決して軽くもないが、スタイルとしてはちょっと軽佻浮薄に流れても構わないというか。センチメンタルのセンチメントを抑えて、しかも自分の感覚で書けたらという気がするんです。〉

絶筆となった自伝『センチメンタルジャーニー』で、太郎は自らの詩について、このように書いています。

      五月の朝

  朝
  コップがひかる
  水がこぼれる
  バターをパンに塗る
  コーヒーいい匂い
  新聞をつぎつぎに読む 放火!
  愉快犯とは まったくすばらしい単語だ
  三方の窓のそとでヒヨドリたちが
  あまい声で啼くのもすてきだ
  うん開港記念日だな あさって
  ブラスバンドいっぱいの陽を浴びて
  塩っからい堤防のマーチを街じゅうに轟かすだろう
  とっても痛いめにあうところだったな
  やました公園で この冬の夜
  セコい中学生どもに蹴ころされたかもしれないのだぞ
  茫々たる髪と過去をきげんよく整えよう
  九時だ『悪の華』だ
  この安藤元雄訳を午前に読む習慣はなんたる快楽!
  どこかにあった一行<いとしい女〈ひと〉は裸体だった
  しかも私の心を知りぬいて>
  コーヒーいい匂い
  ヤバいおもい
  さんさんと 日は昇りつつある
  いかなる情念にとりこまれようともゆるせ
  かなたにひかる海よ


戦争直後などに書いかれたた太郎の初期の詩篇にひかれた私などは、「五月の朝」を初めて読んだとき、ちょっと軽すぎるんじゃないのという印象を受けました。もちろん詩人は、そんなことは百も承知で、折句という遊びをも織り込んだこの詩を作っているのでしょう。

「もっと軽く書いてもいい、俗語的なスタイルで書いてもおもしろいんじゃないか」「北村のような厭世的な詩を書いていたやつにしては白けた詩を書いているといわれるのも悪くない」。そんな志向は、この詩にも働いているように思われます。

詩集『笑いの成功』について北村は、「『犬の時代』が内閉的だったので、その反動ですかね、年も年なのであまり陰気に終えたくなかった。詩の配列を梅雨の詩から始めて五月の詩で終えたのも、さわやかさを読後に残せるようにしたかったからです」(「東京新聞」1985年12月14日夕刊)と語っています。

そんな『笑いの成功』の中でも、「五月の朝」は太郎はとってお気に入りの一篇だったようです。

“血液のがん”多発性骨髄腫の診断を受けてから5年経った1992(平成4)年の10月26日、太郎は虎の門病院=写真=で永眠しました。享年69歳。猫と囲碁とを、こよなく愛した人生でした。

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