2017年5月12日金曜日

北村太郎「五月の朝」⑦

1983(昭和53)年に発表された「五月の朝」は、加島祥造が見つけてくれたという「横浜は中区大芝台の六畳と三畳二間のアパート」で一人暮らしをしているときに作られた作品です。

鎌倉での三角関係から逃れるようにやってきた地でしたが、近くには緑豊かな中国人墓地、10秒もかからないところに銭湯があり、3、4分歩くと下町ふうの商店街。15分も歩くと根岸の競馬場。太郎は一目で気に入りました。

〈とにかくそこらのおじさんやおばさんと仲よくなって、ぼくが商店街を歩くとあっちからもこっちからもみんな、「こんにちわ」と声がかかる。それでいて夜はものすごく静かで、ちょっと行くと牧場まであって、牛がモーッと啼く。〉(『センチメンタルジャーニー』)

そんな新たな「独身」生活のなかで、性懲りもなく親子ほど年の違う若い女性への恋もしていたわけです。それはともかく、ここで詩の中身を少し詳しく見てみましょう。

  朝
  コップがひかる
  水がこぼれる
  バターをパンに塗る
  コーヒーいい匂い
  新聞をつぎつぎに読む 放火!
  愉快犯とは まったくすばらしい単語だ
  三方の窓のそとでヒヨドリたちが
  あまい声で啼くのもすてきだ
  うん開港記念日だな あさって
  ブラスバンドいっぱいの陽を浴びて
  塩っからい堤防のマーチを街じゅうに轟かすだろう
  とっても痛いめにあうところだったな
  やました公園で この冬の夜
  セコい中学生どもに蹴ころされたかもしれないのだぞ
  茫々たる髪と過去をきげんよく整えよう
  九時だ『悪の華』だ
  この安藤元雄訳を午前に読む習慣はなんたる快楽!
  どこかにあった一行<いとしい女〈ひと〉は裸体だった
  しかも私の心を知りぬいて>
  コーヒーいい匂い
  ヤバいおもい
  さんさんと 日は昇りつつある
  いかなる情念にとりこまれようともゆるせ
  かなたにひかる海よ


「愉快犯(ゆかいはん)」は、世間を騒がせたり、恐慌におとしめて、それを喜び、楽しむ犯罪や犯人のことをいいます。私がこの言葉をはっきり意識するようになったのは、1977(昭和52)年1月から2月にかけて東京や大阪で次々に起こった青酸コーラ無差別殺人事件=写真=です。

1977年(昭和52年)1月3日深夜、東京都港区で東海道新幹線の列車食堂のアルバイトに就いていた男子高校生が、バイト先から宿舎へ戻る途中、公衆電話に置かれていた未開封のコカ・コーラを見つけました。

それを持ち帰って飲んだところ、異様な味がしたのですぐに吐き出し、水道水で口をそそいだが突然倒れてしまった。高校生は意識不明の重体となり、病院に運ばれて救命処置が行われましたが、まもなく死亡します。

死因はシアン化ナトリウム(青酸ソーダ)入りのコカ・コーラを飲んだ中毒でした。この事件の直後にも、高校生がコーラを拾った電話ボックス近くの歩道で、作業員が倒れているのが見つかり、死亡しました。

その後、東京駅の八重洲地下街で見つかったチョコレートなどからも青酸化合物が検出されます。チョコレート箱に「オコレル ミニクイ ニホンジンニ テンチュウヲ クタス」などと脅迫文らしきものが添付されていました。

これら一連の事件は結局、犯人にたどり着かずに時効となっています。

「ヒヨドリ」は、ヒーヨ、ヒーヨと甲高く鳴くのが特徴的な鳥。日本では留鳥または漂鳥としてごく普通に見られるが、海外での生息数は少ない。里山、公園など適度に樹木のあるところに多く生息し、町中でも見られます。

果実や花の蜜を好み、ツバキやサクラなどの花に集まって蜜を吸ったり、庭にミカンやリンゴなど果物の半切れを置いておくとすぐにやって来ます。

「開港記念日」は、横浜港のことをいっているのだろう。横浜港は、安政6年6月2日(1859年7月1日)に開港した。その翌年の6月2日に、開港1周年を記念して人々が山車を繰り出すなどして祝ったのが開港記念日の起源とされています。

現在の開港祭は1981年、「国際デープレ横浜どんたく」として開かれたのにはじまります。「五月の朝」が発表された前年の1982年から、正式に開かれるようになりました。いまや横浜の夏を告げる大イベント。また毎年6月2日は横浜の開港記念日と定められ、横浜市立の学校は休業日となるそうです。

この詩が発表になった前年1982年の12月から翌年2月にかけて、「やました公園」すなわち山下公園など横浜市内の公園や地下街で、ホームレスが次々に襲われ、殺傷される横浜浮浪者襲撃殺人事件が起こっています。

犯人は横浜市内に住む中学生を含む少年のグループ。

中学2年生3人、中学3年生2人、高校1年生、16歳の無職4人の計10人でした。

かれらは「おまえらのせいで横浜が汚くなるんだ」と叫びながら浮浪者に暴行を加え、「横浜を綺麗にするためゴミ掃除しただけ」と自供しました。

かろうじて寝るところはあったものの「茫々たる髪」で、「銀行預金の残高が五百円になってしまっ」たこともあったという浮浪者寸前のギリギリの生活をしていた当時の太郎にとって、「痛いめにあうところだったな」というのは、まさに実感だったのでしょう。

近年、ケチなことや、ずるいことの意味でさかんに使われるようになった「セコい」。もともとは、悪い、下手というような意味、あるいは、客種が悪い、景気が良くないといった、的屋、芸人の隠語として用いられていました。それが関西を中心に一般に広まり、金銭的なことをいうようになったようです。

「ヤバい」は江戸時代から、悪事がみつかりそう、身の危険が迫っているなど、盗人や的屋が不都合な状況になったときに使っていた言葉だそうです。それが、戦後のヤミ市などで一般にも広がりました。

1980年代には若者の間で、怪しい、カッコ悪いなどの意味でも使われるようになりました。1990年代に入ると、すごい、ぬけだせないほど魅力的といった肯定的な意味でも用いられています。



太郎は新聞社で長く校閲に携わっていました。その影響もあってか、「五月の朝」の中には、新鮮な“ニュースの言葉”が、あちこちに散らばっています。

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