2017年4月18日火曜日

第二の黄金期①

「崩れ落ちる兵士――1936年9月5日 コルドバ・ムリアーノで」。スペイン内戦に従軍したハンガリー生まれの報道写真家ロバート・キャパ(1913~1954)が撮った「死の瞬間」の写真の題名です。

兵士はフランコ軍から共和体制を守ろうと、地元の民兵組織に入った若い工場労働者だった。正式には「人民戦線兵士の死(Loyalist Militiaman at the Moment of Death, Cerro Muriano, September 5, 1936)」=写真=と呼ばれているこの1枚は、ジャーナリズムの転換点を示す象徴的な写真となりました。


それまで戦場写真といえば4×5インチのフィルムを用いて、遠くから撮る動きの乏しい写真がふつうでした。ところがキャパは、機動性と速写性を確保するため、35ミリフィルムでの撮影が可能なライカを用いて戦場に飛び込みました。

しかも、人民戦線の兵士が頭を撃たれて倒れる瞬間を、兵士の前方至近距離から撮影した奇跡的とも思えるシャッターチャンスをものにしたのです。第1次世界大戦中のヨーロッパでロシア革命の始まりを知り、ジョン・リード(1887~1920)がアメリカからロシアへと向かったのは、1917年のことです。

リードがこの年、ウラジーミル・レーニンへのインタビューをはじめロシア革命を克明に記録して描いたルポルタージュ『世界をゆるがした10日間(Ten Days That Shook the World)』は、現代ジャーナリズムの幕開けを告げる古典としていまも読み継がれています。

スペインがすべてを失った1898年。キャパやリードが活躍するようになる前の当時はまだ、時代を記録し、世界で起こっている出来事とその意味を伝える役割の一端を詩人が担っていました。とりわけ「中世のルポライター」ともいえる吟遊詩人らの伝統を受け継いだロマンセが、時代を超えて作られてきたスペインでは、そうした傾向がより強く残っていたと考えていいでしょう。

詩人の言葉がまだ社会的に大きな力をもっていた時代なのです。ホセ・ガルシア・ロペス(José Garcia López)は、スペイン文学史におけるマチャードの詩を、次のように位置づけています。

〈全体としてマチャドの詩は一切の誇飾を省き、質実ながらも深々とした感動に満ちており、彼自身が語っているように《深い精神の鼓動》を表している。そして読者の心に彼自身の言葉を借りれば「ごくわずかな真の言葉で小波のように」その鼓動を伝えるのである。このようにして彼の詩は時代の嗜好の変化を乗越えてスペイン詩の歴史に永遠の輝きを保っていくであろう。彼の詩が現代の抒情詩に決定的な影響を与えているのは、あらゆる唯美主義的態度を排除し、もっとも真正な人間の姿との交感を求める時代の一般的な趨勢に合致しているためである。〉

フランス象徴主義やモダニズムの影響を受けた美しい詩で文壇に登場したマチャードは、これまで見てきたように、スペインの魂として「98年世代」がこだわったカスティーリャに住むようになったのと時を同じくして、その詩風を大きく転換させます。きらびやかな形容詞の飾りを切り捨て、「深い精神の鼓動」を伝えるような動詞の使い方に気を配るのです。

こうして生まれた詩集『カスティーリャの野』には、荒涼たる風景に刻まれた歴史や人々の醜い心の奥処までも描写した14音節の定型詩があるかと思えば、カスティーリャの地に巣くう犯罪の根をさぐる長いロマンセもあります。さらには、人間の真正に迫って小波のように心を振わせるコプラも盛り込まれています。

文学的には時代に逆行した感さえするマチャードの詩の転換や、詩集『カスティーリャの野』の独特な構成の背景には、民俗学者の父をもったといった詩人が育った環境や資質が大きく影響しているのでしょう。と同時に、そこには、当人がどこまで意識していたかは確とは分かりませんが、「98年世代」の課題を誠実に遂行し言葉の力でスペインの再生を純粋に夢見ていた詩人の、相当に意図的な言葉の「戦略」があったと私は思います。

国を再生するのは最終的には、そこに住まう民衆です。彼らが置かれている立場を自覚し変えていくには、当時の世界の潮流がどうであれ、詩人は民衆の言葉で語らなければなりませんでした。スペインの伝統的な詩形であるロマンセや、民衆の歌であるコプラにこだわり、深みへと導きながらもきっちりと言い切る動詞の起用が必要だったのです。

国の近代化を目指したマチャードら98年世代の運動は、結局のところスペインにとってどういう成果をもたらしたのでしょう。その後の政治的混乱、そして内戦、フランコの勝利という歴史的経過からすると、少なくとも表面的には彼らの「夢想」の域を出ることはなく、これといった実のある収穫をもたらすことはできずに挫折に終わった、というのがおおかたの見方だと思います。

そうした「98年世代」の中で最後の最後まで戦いぬいたのが、皮肉にも当初はもっとも政治活動に消極的だったマチャードだったのです。

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