2017年4月12日水曜日

「ドゥエロ川のほとりで」に投影された歴史③

惨めなカスティーリャよ、かつては覇者の夢に充ちていたが、
今は ぼろを身にまとい、「未知」を疎んじ、頑なに心を閉ざしている。
期待しているのか、眠っているのか、それとも夢を見ているのか。剣への渇望に
駆られた時に流された血を、いまだに忘れられずにいるのか。
すべてが移ろい 流れ 過ぎ 走り 巡る。
海と山が変容し それを観る眼が変容する。
すべては 終ってしまったのか。神の名を唱えながら 戦に臨んだ
民衆の亡霊が、今なお 荒野をさ迷っている。
Castilla miserable, ayer dominadora,
envuelta en sus andrajos desprecia cuanto ignora.
¿Espera, duerme o sueña? ¿La sangre derramada
recuerda, cuando tuvo la fiebre de la espada?
Todo se mueve, fluye, discurre, corre o gira;
cambian la mar y el monte y el ojo que los mira.
¿Pasó?  Sobre sus campos aún el fantasma yerta
de un pueblo que ponía a Dios sobre la guerra.

往時 母は多くの戦士を生み出しはしたが、
今は 賤しい雑役人夫の継母、
カスティーリャに 昔日の寛容な母の面影は もはやない、
ビバールの わがシッド、ロドリーゴが
新たな武勲と財宝を携え 誇らし気に凱旋し、
王アルフォンソへ バレンシアの沃土を献上した時のような。
あるいは その勇猛さを証す冒険のあとで、
新世界の大河征服を
宮廷に上申し、
カラスのごとく略奪し 獅子のごとく戦を交え、スペインへ
帝王のガレオン船に 金銀財宝を満載し 帰還する命を賜った兵士、
戦士、首領たちの母。その母の面影は もはや無い。
La madre en otro tiempo fecunda en capitanes,
madrastra es hoy apenas de humildes ganapanes.
Castilla no es aquella tan generosa un día,
cuando Myo Cid Rodrigo el de Vivar volvía,
ufano de su nueva fortuna, y su opulencia,
a regalar a Alfonso los huertos de Valencia;
o que, tras la aventura que acreditó sus bríos,
pedía la conquista de los inmensos ríos
indianos a la corte, la madre de soldados,
guerreros y adalides que han de tornar, cargados
de plata y oro, a España, en regios galeones,
para la presa cuervos, para la lid leones.


時は流れ、世界が変化したいまもなお、カスティーリャは聖戦に挑んでいった熱い戦いの日々のことが忘れられず、ただ時代から取り残されていきます。

シッドが活躍した国土回復時代や、冒険を求めて海のかなたに飛び出した大征服時代の栄光はもう戻ってこないのに、です。

「期待しているのか、眠っているのか、それとも夢を見ているのか」と詩人はカステーィリャの運命を問いかけます。しかし、それをになうのは、無為のうちに天の恵みを待つ僧院の哲学者のような人々でしかありません。

修道院のスープで身を養なう 哲学者どもは、
ただ平然と 広大な虚空を見つめるばかり。
レバンテの波止場で 商人たちの叫ぶ声が
遠いどよめきのように 彼等の夢に届いても、
馳せ参じ、「何ごとなのか?」と、訊きもしないだろう。
すでに、戦が彼等の家の扉を叩き 押しかけているというのに。
    惨めなカスティーリャ、かつての覇者は、
今はぼろを身にまとい、「未知」を疎んじ、頑なに心を閉ざしている。
夕陽が傾いていく。遠い町から
快い鐘の音が聞こえてくる。
――もう 喪服の老女たちの 晩禱の時刻――
岩影から二匹の小さなイタチが 現われる。
イタチは ぼくに眼をやり、逃げようとしたが、ふたたび、
すがたを現わす。好奇心いっぱいのイタチ!……。原野は 暮れていく。
白い径のかなた、暮れなずむ原野に、
人気の絶えた岩地に 一軒の旅籠の灯が点る。
Filósofos nutridos de sopa de convento
contemplan impasibles el amplio firmamento;
y si les llega en sueños, como un rumor distante,
clamor de mercaderes de muelles de Levante,
no acudirán siquiera a preguntar ¿qué pasa?
Y ya la guerra ha abierto las puertas de su casa.
       Castilla miserable, ayer dominadora,
envuelta en sus harapos desprecia cuanto ignora.
       El sol va declinando. De la ciudad lejana
me llega un armonioso tañido de campana
—ya irán a su rosario las enlutadas viejas—.
De entre las peñas salen dos lindas comadrejas;
me miran y se alejan, huyendo, y aparecen
de nuevo, ¡tan curiosas!... Los campos se obscurecen.
Hacia el camino blanco está el mesón abierto
al campo ensombrecido y al pedregal desierto.

詩人がここで嫌悪し、怖れているのは「虚空を見つめるばかり」で何もしようとしない「修道院のスープで身を養なう 哲学者ども」です。彼らは、何世紀もの間、宗教のカラの中に閉じこもり、新しい社会思想や近代科学に対して興味を持とうともしません。

そしてまた「ぼろを身にまとい」、「頑なに心を閉ざ」す「惨めなカスティーリャ」に、夕陽は傾いていきます。岩影からは「好奇心いっぱい」のイタチが現われる。小さな隙間でもすり抜けてすばしこく動き回るイタチは、隙あればと触手を伸ばす近代国家たる欧米諸国を暗示しているのでしょうか。

確かに「祖国の偉大と卑小を、彼ほど深く、具体的に、言葉に刻みつけられた詩人は、後にも先にもいない」 のかもしません。『カスティーリャの野』が住民たちが反発するということは、マチャードの詩がそれだけ人々に読まれ、住民たちの琴線に触れるなにかを秘めていた証し、という見方もできるでしょう。

スペインの地を徹底的に描いたのは、マチャードの内面主義が生んだ産物ともいえそうです。荒涼とした大地と、そこにすむ人たちの姿は、スペイン解釈を彼に夢想させました。そして、カスティーリャの野についての詩的描写のなかに、いまや「期待しているのか、眠っているのか、それとも夢を見ているのか」わからなくなっているスペインの過去、現在、未来に対する自身の思いを投影したのです。

マチャードにとって、引き裂かれた「二つのスペイン」の深い溝を修復して新しいスペインを見いだすには、このように「カスティーリャ」をとことん描くほかに、すべはなかったのかもしれません。

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