2016年9月23日金曜日

コプラと「道」③

  僕はたそがれの道を
  夢心地にゆく、金色の
  丘よ、みどりの松
  ほこり白き柏!……
  この道はいずこへ行くのか?
  野道をつたい旅の身を
  僕はうたいつつゆく……
  ――夕日が沈む――
  「かつてこの心を
  とがめし情熱の棘
  抜け去りし時より
  はや心をも感じえず」
  Yo voy soñando caminos
      de la tarde. ¡Las colinas
      doradas, los verdes pinos,
      las polvorientas encinas!…
  ¿Adónde el camino irá?
      Yo voy cantando, viajero
      a lo largo del sendero…
  -la tarde cayendo está-.
  “En el corazón tenía
   la espina de una pasión;
   logré arrancármela un día:
  ya no siento el corazón.”


これは、広く知られているマチャードの「僕は夢心地に行く(Yo voy soñando caminos)」という詩です。夕暮れの散歩。黄昏時に響いてくるコプラに、夢見心地の詩人の心が吸い寄せられていきます。

最後の4行「かつてこの心を/とがめし情熱の棘/抜け去りし時より/はや心をも感じえず」は、たびたびスペインの人々の口にのぼるポピュラーなコプラです。

そこには、誰もが感じることのある、なかなかに深い人生哲学が込められているように思われます。

ときに詩人は自分の思想を、大衆的な方法でろ過しようとします。マチャードの志向したような実存的なテーマは、しばしば、短い言葉のなかに抒情的に凝縮されることがあります。

そうした、民衆が口にのぼりやすいコプラを作品の中に忍ばせておく。それによって人々の心をひきつけ、やがて民衆の詩として広がっていく。私はそんなあたりにも、マチャードの国民詩人としての深い資質と、言葉の天才ならではの「戦略」を感じるのです。

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