2016年5月5日木曜日

「ドゥエロ川のほとりで」

きのうみた「ソリアの野(Campos de Soria )」における「春が通り過ぎてゆく(la primavera pasa)」「野は夢みている(el campo sueña)」「長い外套を着て 通り過ぎてゆく(pasan cubiertos con sus luengas capas)」などは、主語と動詞を連ねた自然な文体、モデルニスモの名残りを排除した簡素な表現です。

より現実主義的だが、独特の深みを備えた表現を展開していきます。

「カスティーリャの荒れ地にふさわしい暗い色調そのままのパレットを持って、詩人はその景色を描写する。しかし、マチャードにとって最も大切なことは、その景色に触れた心からにじみ出るもの、つまり彼の心理的な解釈なのである。カスティーリャの大地を目前にして、詩人は言う、人間と世界のなぞを瞑想しつつ何時間も過してしまった、と」 。

カスティーリャの風景に触れた心からにじみ出すものに、歴史的解釈が加えられます。マチャードにとってカスティーリャの風景は、歴史が刻まれた舞台でもあり、スペインの運命に思いを巡らす心象風景でもあるのでしょう。

詩人は、そうした二重、三重の風景を描き、叫びます。その叫びはときには、軽蔑をあびせかけているように響くのです。


そういう意味での典型的な詩として、ソリアを水源としスペイン北部ポルトガルへと流れ込むドゥエロ川=写真、wiki=を題材にした詩「ドゥエロ川のほとりで(A orillas del Duero)」があげられます。

ドゥエロは イベリアとカスティーリャの
樫の芯を貫き 流れる。
ああ、悲しく 気高い大地よ!
高原と 荒野と 岩だらけの大地、
鋤を容れず 小川もなく 雑木も生えない原野、
衰微していく町々、旅籠のない街道、
驚きは顔にしても、踊ることも 歌うことも忘れた 田舎の住人たち、
彼等は 火種の絶えた竃を見限り、
カスティーリャよ、そこを流れる長い川のように、
ただ 海へ向かい 流れていくのだ。

El Duero cruza el corazón de roble
de Iberia y de Castilla.
¡Oh, tierra triste y noble,
la de los altos llanos y yermos y roquedas,
de campos sin arados, regatos ni arboledas;
decrépitas ciudades, caminos sin mesones,
y atónitos palurdos sin danzas ni canciones
que aún van, abandonando el mortecino hogar,
como tus largos ríos, Castilla, hacia la mar!

このようにはじまる「ドゥエロ川のほとりで」は、詩節がない78行の長編です。14音節の行が多く、そのほとんどが13音節目に最後のアクセントを置いています。韻律は、風刺詩に向いているともいわれる短長格(yambico)。

カスティーリャの「悲しく、そして気高い大地」の低迷した現実を、その「高原と 荒野と 岩だらけの大地」「鋤を容れず 小川もなく 雑木も生えない原野」「衰微していく町々、旅籠のない街道」などの風景とともに、詩人の胸によみがえる過去の追想によって際立たせている。過去の栄光と、現在の衰退のコントラストを読者に鮮明に浮き上がらせ、詩人は祖国の運命の沈痛な瞑想にふけっているのです。

この詩については、あらためて別の機会に詳しく検討することにしたいと思います。

いずれにしても、こうした詩人の試みは「ドゥエロ川のほとりで」、「ソリアの野」と続いて、詩集『カスティーリャの地』に置かれているロマンセ「アルバルゴンサレスの地」に至って極まりを見せることになります。

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