2016年5月17日火曜日

スペインを作るロマンセ

カトリックの伝統や習慣にがんじがらめに縛られ、時代から取り残されてしまったスペイン。

ヨーロッパ近代ばかりが気にかかり、内を顧みようとしない借物の進歩主義者たちのスペイン。

これら「二つのスペイン」の狭間にあって、カスティーリャの地の本質を見つめ直すことで、新たなスペインへと再生する道をマチャードは探りつづけました。

そんなマチャードにとって、土地にしっかり根付いた民衆の歌であり、言葉であり、長い歴史を通してそうあり続けてきたロマンセは、「最高度の表現方法」であったはずです。

そして、「新しいロマンセを書く」ことを詩人の使命と考えていたのに違いないのです。

「詩人は、《良きおじさん》アグスティン・ドゥランによって監修・編集されたロマンセーロを読んで聞かせる練習をしていた。家族の中でも、人気のある詩は熱心に読まれていた。

そんな環境に育ったマチャードが、ソレアの田舎町で起こった犯罪に直感を得て、何らかの民衆のロマンセを聞くか知るかして、カスティーリャの高原を舞台にした現代的な叙事詩を企てる日が来たとしても、不思議ではない。

このようにして“アルバルゴンサレスの地”は誕生した」


イアン・ギブソンはマチャードの評伝=写真=の中でこんなふうに指摘しています。

スペイン民俗学を築いたカリスマ的な父の仕事をながめ、母方の叔父がまとめたロマンセ集に身体までどっぷりと浸かってマチャードは育ちました。

スペイン人たちが親から子の世代へと代々受け継いできたロマンセや歌謡を、彼ほど広く深く身に刻める環境にあった人間は稀かもしれません。

しかし、マチャードだけが特殊だったというわけでもなさそうです。

ロルカも語ったように、スペイン人の「乳母たちは、昔から、女中やさらに身分の低い召使いとともに、貴族やブルジョアの家庭に、ロマンセ、歌謡、お伽話をつたえるというきわめて重要な働きをしてい」たのです。

逆にみると、世代間でロマンセなどの民謡をつないできた営みが、スペイン人を作り、スペインという国を作ってきたといえるのではないでしょうか。

それをたどっていけばカインにまで行き着くかもしれないし、そうした営みがまた「98年世代」が探ったスペインの本質にも、衰退して行き場を失ったスペインの現実にもつながるのです。

そう考えてくると、マチャードがロマンセを選んだのは、単に子供のころに慣れ親しんでいたという程度のところにとどまるのではなく、「98年世代」的な課題に迫る最適な詩形への模索の中でたどりついたものだったという側面も決して軽視できないように思われてなりません。

さらには、スペインの再生に向けて必要なのは「新しいロマンセを書く」こと、しかもスペインのスペインたるカスティーリャのロマンセを描くことだとマチャードは確信していたに違いありません。

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