2016年5月16日月曜日

モーゼを見つめて

ロマンセは民謡、民謡はいってみれば昔の流行歌です。多くの流行歌の中から、民衆に愛好され、つぎつぎと歌いつがれて残ったものが民謡となたのです。そこには土の香があり、体臭があります。

ロマンセの魅力は、土着性にあるのです。古ロマンセからは騎士の甲冑の響きや蹄の音が聞こえてきます。洗練された都市性の対極にある土着性は、マチャードたち「98年世代」が探ろうとしていた、カスティーリャが本来もっているものにもつながるのでしょう。

民謡はけっして洗練された芸術作品ではありません。洗練の度合い、高度の思想性と形式美を基準とすれば、ロマンセが文学史に占める地位はそう高くはないかもしれません。

しかしスペインでは20世紀になっても、マチャードやロルカら天賦の才を得た詩人たちが、モチーフを生かす最適の形式としてロマンセを選び、芸術性の高い作品を書きました。

前述したようにマチャードの父、アルバレスはスペインの先駆的民俗学者でした。そしてアントニオは、母方の親戚のアグスティン・ドゥランの「ロマンセーロ(民謡集)」を繰り返し読んで聞かされて育ちました。

そういう意味では、マチャードが「アルバルゴンサレスの地」にロマンセという形式を用いたのは、子どものころから慣れ親しんだ伝統的な手法によるという自然な選択だったとも受け取れます。

しかし、スペイン再生に向けてカスティーリャの真髄に迫ろうとする「98年世代」の詩人としての使命を果たす最適な言葉の器として、マチャードはかなり意識的にロマンセという形式を選んだのではないかと私は推測しています。


『カスティーリャの野』の序文をもう一度振り返ってみると、ロマンセについて次のように記しています。

〈すぐさま、崩壊の最中にある劇場を見つめよう。そして、私たち1人1人の影を舞台に投影しようではないか。そして、詩人の使命は、永遠に人間的であるところの新しい詩を考案するところにあると思った。個性的で生命力のある物語。妨げにならず、それ自体が生きている。

私には、ロマンセが詩の中でも最高度の表現方法であると思われた。そして新しいロマンセを書くことにした。その意図は「アルバルゴンサレスの地」で答えを出している。私の意図は、伝統的な手法を蘇らせようとするところからはかけ離れていた。

騎士たちの、あるいはモリスコの古いかたちのロマンセを新たに作る、というのは私の好みでは決してない。見せかけの擬古主義は私にはどれも滑稽に思える。確かに私は、良き叔父、D・アグスティン・ドゥランが一冊にまとめたロマンセ集によって読むことを学んだ。

しかし私のロマンセは、英雄的な武勲に由来するものではなく、形成された民族から、歌われるところの土地から生まれたものである。私のロマンセは、人間の土台であるところを、カスティーリャの野を、そして“創世記”と呼ばれるモーゼの最初の書物を見つめている。

私が述べたこれらの意図と無関係な内容にあなたたちは出あうだろう。それらの多くは、愛する国を心配してのことだ。それから、私にとって永遠の芸術作品であるところの自然への率直な愛である。〉

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