2016年5月2日月曜日

名詞軽蔑、形容詞嫌悪、動詞礼賛

  形容詞と名詞は
  清浄なる水のよどみ
  抒情的な文法における
  動詞の不慮の出来事である
  明日あるであろうきょう
  そして未だに終わらぬ昨日
    El adjetivo y el nombre,
  remansos del agua limpia,
  son accidentes del verbo
  en la gramática lírica,
  del Hoy que será Mañana,
  y el Ayer que es Todavía
 
アントニオ・マチャードの死後まとめられた『補遺(Los Complementarios)1912~1925』=写真=に収められた詩の中で、彼はこのようにうたっています。


ここに述べられているように、マチャードは詩語としての名詞を軽蔑し、形容詞を嫌悪、逆に動詞を礼賛していたと、しばしば考えられてきました。

しかし、こうした傾向はマチャードの生涯を通じて一貫していたというわけではなく、『カスティーリャの野』の前と後、すなわち98年世代的なカスティーリャを強く意識する前と後とで、劇的な変化が起こったと見たほうがよさそうです。

たとえば、第1詩集『孤独』のなかの「地平線(Horizonte)」 という14音節の短い詩を読んでみましょう。

ある明るい夕べ、倦怠のように拡がり、
夏の灼熱が その槍をふるうとき、
平原のうえに 整然とそびえる 千の影は
ぼくの 重苦しい夢の幻影を 映し出していた。
En una tarde clara y amplia como el hastío,
cuando su lanza blande el tórrido verano,
copiaban el fantasma de un grave sueño mío
mil sombras en teoría, enhiestas sobre el llano.

落日の輝きは 紫の鏡となり、
焔のガラスとなって、古びた無窮に向かい
平原に 重苦しい夢を投げかけていた……。
そして ぼくの足音が 拍車のように鳴り、
彼方の 血に染まった西空に 谺するのが感じられた。
そして さらに遥かに、澄んだ曙の 歓びの歌が。
La gloria del ocaso era un purpúreo espejo,
era un cristal de llamas, que al infinito viejo
iba arrojando el grave soñar en la llanura...
Y yo sentí la espuela sonora de mi paso
repercutir lejana en el sangriento ocaso,
y más allá, la alegre canción de un alba pura.

詩を読めばすぐにわかるように、「明るい夕べ(una tarde clara)」、「倦怠のように(como el hastío)」、「夏の灼熱(el tórrido verano)」、「千の影(mil sombras)」、 「ぼくの 重苦しい夢の幻影(el fantasma de un grave sueño mío)」、「落日の輝き(La gloria del ocaso)」、「紫の鏡(un purpúreo espejo)」、「古びた無窮(al infinito viejo)」、「血に染まった西空(el sangriento ocaso)」、「歓びの歌(la alegre canción)」、「澄んだ曙(un alba pura)」などと、モデルニスモの影響なのか、名詞や形容詞がふんだんに並べられ、象徴性もあわせもつ鮮やかなイメージを作り出しています。

名詞を軽蔑し、形容詞を嫌悪、逆に動詞を礼賛していたというような傾向はここでは感じられません。

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