2016年4月22日金曜日

喀血

結婚後もマチャードはソリアで教師を続けていましたが、希望していたフランス語研究のための留学が許され、1911年の年明け早々、幼い妻を伴ってパリへ赴きます。

パリでは、アンリ=ルイ・ベルクソン(1859~1941)=写真、wiki=の講義を受けるなど、充実した日々を送っていました。


ところが、フランスへ渡って半年後の7月14日の夜、レオノールが突然ひどい喀血に襲われます。パリ祭の夜のことでした。

マチャードは医者を求めてパリ中を狂ったように駆けまわりましたが見つからず、ようやくレオノールが病院にかつぎ込まれたのは翌朝になってからのことでした。

マチャードは勉強を中断して妻の看病に当たりましたが、彼女はなかなか快方に向かいません。仕方なくその年の9月、ソリアへ戻って静養させることになりました。

病状に進退がないまま冬を越し、翌1912年の春になって雪もなくなると、マチャードはレオノールを車いすに乗せてよく散歩に出かけました。

当時のマチャード夫妻の様子が可愛らしいイラストで綴られた『アントニオ・マチャードとレオノールの視線』 という絵本(8歳から12歳の子ども向け)が出版されています。

この中で、それまでずっと家の中で窓を眺めているだけだった2人が、散歩を始めたときの様子が次のように描かれています。

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