2016年4月15日金曜日

1896年にマドリードにやって来た作家たち

これまでに繰り返してきたように、アントニオ・マチャードは、スペイン「1898年世代」の詩人と位置づけられています。

ところで、これまで当たり前のように使ってきた「世代(la generación)」という概念は、いかなるものなのでしょう。

そもそもをたどっていくと、D・ガブリエラ・マウラ(D. Gabriela Maura)が1908年、オルテガ・イ・ガセット(Ortega y Gasset)との論争の中で、「惨敗のあとに知的に生まれた(nacida intelectualmente a raíz del desastre)」「世代(la generación)」として使われたところに行き当たるようです。

「desastre」とは、もちろん「1898年の敗戦」のことです。


「La generación del 98」という言葉は、1910年に書かれたアソリン(Azorín、本名José Augusto Trinidad Martínez Ruiz、1873-1967)=写真、wiki=の随筆「二つの世代(Dos Generaciónes)」の中に登場してきます。

この随筆でアソリンは、1896年にマドリードにやってきた作家志望の若者グループと、1910年ごろの好色文学など、いわゆる通俗作家グループを取り上げて、それら二つの世代の違いを検討しています。

それによると、1896年にマドリードやってきた若者たちは「芸術への深い愛、前時代の“形式”に対する抗議と独立への熱望」を持ち、「無視、理想、大望、物質的なものではない何かを求めて戦い、芸術、政治に純粋な客観性を示す少し高尚な何かのために戦い、変革、向上、完成、高揚へのあこがれがきわだっていた」としているのに対して、1910年ころの作家は「最も低級で、激しいエロティズムに極めて大胆に身をまかせている」と嘆いています。

アソリンが1896年の作家グループとして取り上げているのは、インクラン、バロハ、マエツ、ウナムーノ、ルベン・ダーリオ。これら1896年にマドリードにやって来た作家たちを、後になぜか「98年代」と呼ぶようになったのです。

アソリンが1913年に出した4編の随筆から「1898年代」について述べている箇所を拾い上げた古家久世は、「敗戦が一つの刺激となり、今まで底流していた物の具体化が促された事は事実であるが、1898年の敗戦が唯一の契機でない事を、アソリンははっきりと認識している。しかし、彼は歴史上、記憶に値する日付、1898年にちなんで、La generación del 98、98年の世代と命名したのだと解釈しうる」 と推測しています。

0 件のコメント:

コメントを投稿