2016年3月18日金曜日

二つの「道程」⑥

初期形の「道程」で光太郎は、「生命の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ」「どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は/たうとう自分をつかまへたのだ」などと、生命と自然とのかかわりを深く内省し、自然、いや宇宙の法則がその生き方を導いてくれることも示しています。

それは、「具象としての目に見える自然ではなく、理念としての自然が表明されている。客観的に自然を眺め鑑賞するのではなく、自分の生きる道を考えた、処世術というような小手先のものでなく、信念にまで高められて示されている」と井田康子は指摘しています(『高村光太郎の生』)。

道のない道を行くのが人間の自己形成の道程であり、生命を導いていく根源は自然であると詩人は確信していることが、初期形を読むとより明瞭になってくるのです。

自然を信じて自然のままに進む決意をうたい、自然を生かすことによって自己をのばしていこうとする。人間の生と自然とは本来、一体のものなのです。そして、

  ああ
  人類の道程は遠い
  そして其の大道はない
  自然の子供等が全身の力で拓いて行かなければならないのだ

と、そうした思いは「人類の道程」へと広がっていきます。


マチャードも、米西戦争敗北という祖国の危機、および自らの生き方を探るなかで「自然」をよりどころにしていました。中でも、スペインのアイデンティティたるカスティーリャ地方の「自然」にありました。

詩集『カスティーリャの野』の序文でも「A una preocupación patriótica responden muchas de ellas; otras, al simple amor a la Naturaleza, que en mí supera infinitamente al del Arte. 《注13》(それらの多くは、愛する国を心配してのことだ。それから、私にとって永遠の芸術作品であるところの自然への率直な愛である)」とそれを明確に表明しています。

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